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< 子育てのポイント >

― 子育てはどこに向かうべき? ―

子育てに励む親御さんや子育てに何らかの形で関わっている方々は、未来の子供のこと、未来の社会のこと、そしてそれを支える子どもたちの子育てのことなどに大きな関心をお持ちになるのではないでしょうか。

前回は「未来の子供たちに必要な力」について考えてみましたが、それを踏まえ今回は「子育てはどこに向かうべき?」と題して、子育てに真剣に取り組む必要性とその到達目標(ゴール)について、リトミックスタジオ【Kirari】の考えを述べさせていただきたいと思います。

前回の記事の繰り返しになりますが、未来の子どもたちに必要な力として、OECDは「新しい価値を創造する力」「変化への対応力」「失敗から軌道修正する力」を重要視していました。

また当スタジオでは、子どもの学習意欲、能動性、主体性、行動力などの「資質」にも注目していることを述べさせていただきました。

このような能力や資質の育成の先に何を見ていくべきなのか、これが今回のテーマです。

ではその子育ての先にどのようなゴールを見据えていけばよいのでしょうか?

リトミックスタジオ【Kirari】では、その問いに対する一つのヒントとして「自律」と「自立」というキーワードから子育てを考えます。

自律(self-discipline)とは

自律(self-discipline)とは、自己コンロトール力。

感情や思考、対人関係やコミュニケーション、社会活動において、自分で自分をコントロールする力です。

そして自分で自分をコントロールする力は、自分を知り、自分を尊び、自分に自信を持つことから生まれます。

自己肯定感が大切になります。

自信を育むことが大切になります。

素敵な言葉を引用しておきます。

自分の努力を敬い、そして自分自身を敬う。その敬いの心が自律心を導く。その自尊心と自律心が合わさったとき、真の力が発揮される。(クリント・イーストウッド)


はるか先を見据えて、私たちは心の力を養っていかなくてはならない。それはコンピューターのような技術とは異なるものだ。それは古くから言われている基本、つまり自らを信じ、自らやる気を出し、自らを向上させ、自らを律し、自らをコントロールすることとだ。(スティーブン・プレスフィールド)

自立(independence)とは

自立(independence)とは、独立力。

独立とは、「他者への依存」に対義する言葉で「自己の意思」を行動基準とすることです。

自己の意思に基づく行動基準とは、「自ら考え、自ら判断し、自ら行動(表現)する」という一連のプロセスを内包します。

そして「自己の意思」に基づくこの一連のプロセスは、その結果として、「責任」を自らに帰すことになります。

「他者への依存」を基準とした行動は、自らの行動に「責任」を付与できません。

簡単に言うと「他人のせい」ということになります。

「依存性」は「他人のせい」を、「独立性」は「責任感」を導き、その「責任感」は他者からの自立心を成長させます。

自立と自律の両輪を

「自律」なくしては「自立」はあり得ない、また「自立」なくしては「自律」もありえない、リトミックスタジオ【Kirari】はこのように考えます。

自己コントロールなくして、社会的活動はありませんし、自らの行動とその責任を負うことなくして、社会の一員としての自らを律することもできません。

このように「自律」と「自立」の両輪が、社会を生き抜く能力の基盤を形成します。

転ばぬ杖でいつも子供を庇護していては子供は自立しませんし、子どもの自律心も成長しません。

危なっかしくても自分でやりたければ牛乳をコップに注ぐのを止めず、こぼれたら親が手を差し伸べるのではなく、本人に考えさせ、判断させ、行動させればいいのです。

つまり、自律し自立した子どもにするには親も自律し自立することが必要。

自分で決断し、その決断に自信を持ち、うまくいかなければ修正、挽回し、責任をとればいいと教え、自分自身もそういうスタンスで生きている自律・自立した親からしか、自律・自立した子どもは育ちません。

将来の子どもの能力や資質の育成の先に、「自律」と「自立」があるということを日々念頭に置くことが大切です。

3人の息子を育てる母として、大田区にてリトミック教室を主宰する講師として、私自身も常に、その先を見据え、子どもへの対応、声掛け、サポートの仕方を模索しています。


注)上記の記述に関して、リトミックスタジオ【Kirari】がクラスでより効果的に知育を実践するために独自にリサーチ・研究したものであり、あくまでも当スタジオ独自の解釈であること、また専門的な検証や実証的な研究の成果を反映させたものではないことをお断りしてしておきます。